このタイトルは記事と言うのもおこがましい物である。
薄れゆく記憶を補填とボケ防止の為だけの半世記である。
母のいない時を過ごしていた。
時々父に連れられ、東京、福島と仕事について行った。
学校サボって付いて行った。
この頃の父は札幌のキャバレーに出入りしてた。
だからか、バレンタインのイベントとかあると、「チョコ貰いに行ってくるわ」の口実で出かけるのだった。
夜中帰ってくると、めちゃ酒臭かった、チョコなんか持ってくるなんかなかったな。
中二になった時、内縁の妻の様な存在の女性の方々に可愛がられていた。
忘れていたが、母が出て行ってから小遣い貰うようになった。
父の「いくら欲しい?」の問いに
「一万」と答えた自分
貰えるわけないと思っていたが、貰えたし。。。
人生初の小遣い一万円驚愕だった。
何に使っていたかは、本当に思い出せない。
あの頃は、スクラップで出た電電公社の電話交換機の接点に使われてる、貴金属を集める事してた。
プリント基板からやICチップからも採取できたが量は少ない。
所と言う親父と沼ノ端の土地で貴金属の精錬を始めた。
交換機には、銀と金が使われていて、銀はキロ10万位、金はグラム7~8000ぐらいだったかな
古い黒電話にも金・銀・白金・パラディウム等々使われていた。
友達と遊びたい盛りに、金・銀の精錬に駆り出されていたよ。
銀は硝酸で溶かして、塩化ナトリウムで塩化銀にしてから、還元剤で銀の粉にして坩堝で溶解して塊にしてた。
確か溶融した銀を水に流し込むで固めてたと思う。
笹ぶきって言ってたな。
金は一度王水に溶かしてから、脱硝だったか脱硫だったか、してから還元剤だっかなあ。
まあ歳はとりたくないな忘れてしまった。
売りに行かない時は、金庫にネスカフェの瓶(大きい)一杯に金・白金・パラディウムと入っていた。
父の内縁の妻の存在は、自分が高校卒業するまで2人いたかな。
お世辞にもイケメンとは言えない、蟹股の親父なのに不思議に思えた。
学校行事は、体育祭だけはちゃんと来てくれた。
嬉しくはなかった、父子家庭だったから同級生に見られたくなかったし、古紙回収してた時もあったから余計嫌だった。
雑品屋と言われるのがとても嫌だった。
遠足とかは自分で弁当を作り持って行った。
確か支笏湖に学校でキャンプに行った時である。
とんかつ初挑戦で弁当作った。
ご飯は白飯じゃなくてチキンライス作って持って行ったが、とんかつは食べれたが、チキンライス暑さで痛んでた(汗`・ω・ι)タラー
この頃は弁当も買いに行ったりしていたが、回数は少ないが自分で料理もしていた。
小4の頃から、炊飯・袋ラーメンやホットケーキとか作っていたから、出来ない方ではなかった。
でも中学生ですから、面倒でしょうがなかったです。
2年と言えば前の席の女のコが好きだったなぁ~
初恋なのかな?
高校受験は半ば諦めていた。
小学生の時から、後継ぎ後継ぎとしつこく言われてきたから、中学卒業したら雑品屋かとガッカリしていたものです。
だからか、自分が男じゃなかったら?とか、自分に兄がいたらとか妄想してたし、勉強なんかしなかった。
中2のなった時、なんでか知らないけど同級生の田中君の「わぎょうは何で勉強しないの?頭いいのに」って言われた事を今でも忘れないでいる。
なんて事のないセリフなのに強烈な印象なのである。
父が怖かったから、細やかな反逆のつもりだったし、どうせ後継ぐ事になると思っていた。
勉強できないくせに、周りは頭の良い人ばかりだった。
良く話しできたものだと今思う。
文化祭で劇をやることになり主役に抜擢された。
ただ小さいという理由だ。その頃の身長は140㎝、いつも並ぶと一番前か2番目かだ。
配役陣は皆頭のいい方ばかり、馬鹿は自分一人だった。
でも初恋の子もいたので頑張ったと思う。
どんな劇でどんなセリフだったかと、今考えても思い出せないし、布団で寝てる子供の役なので、劇中に爆睡してたかもしれない。
ただ観客に「聞こえません」と罵声だけは憶えている。
中3の時、席隣の子に恋してたな、告白しないで終わったけど気を引こうとしてたな。
修学旅行は、八甲田山・奥入瀬渓流・十和田湖・八幡平アスピーテライン・中尊寺・盛岡南部鉄器
担任が初日のお昼を用意してくれた。
片親だと大変だろうと言ってくれて、すごく嬉しかったが同級生には見られたくなかった。
そして内縁の方に応援してもらって、工業高校の工業化学科を受験することになった。
受かれば3年間後継ぎが延長されることになる、自分にとっては千載一遇のチャンスだった。
でも、受かっても行かせてくれないとゆうのもあるから、気持ち的には複雑だったよ。
相も変らず、父の手伝いさせられ勉強なんか身が入るわけはなかった。
高校受験
受験日がやってきた。前の日にちょっとやった程度で挑む。
玉砕覚悟の特攻だ。
倍率は1.9倍
国語・理科・社会は20~30点 英語・数学は9~15点が自己採点
マジ落ちたと思っていた。
勉強しなかったんだから当然だわな、だが奇跡が起きたのだ。
合格発表の日、小6からの友人と中2からの友人3人で見に行った。
名前がある。
小6からの友人は落ちたが、自分の名がある。
嬉しかったけど、父はまだ許してはくれていなかった。
取敢えず、近くの電話ボックスから父の仕事場に電話した。
以外にも父は喜んでいたようだ、「頑張って勉強せい」と言われた。
本当かどうか解らないが、内縁の方から聞いた話だが、仕事相手の方やら周りの人に、勉強しないのに受かったって言っていたらしい。
中学卒業して高校生へ、だがやることは変らず、いつも通りの父の手伝い。
鉄が高けりゃ鉄くず、非鉄金属の相場が高けりゃ銅、亜鉛、うちアルミが高けりゃアルミの100K インゴットを生産するというマルチな仕事だ。
インゴット作りは、重油バーナーと耐火煉瓦で手作りで炉を作り精錬する。
材料は車のエンジン、バイクのエンジン丸ごと溶かすのだ。途中で鉄を引っ張り出す仕事をやらされたものだ。
真夏なんか堪ったものではない、熱中症になる寸前は当たり前だったよ。
手作りの炉も作るの手伝わされた、とにかく何でも手伝わされた。
小学生の頃から、アセチレンバーナーや電気溶接とか使わされた。
アセチレンバーナーで車の解体を1日10台以上やらされたものです。
とんでもない父だった。
高校生
高校生活が始まり、しばらくすると家庭訪問の時期がやってきた。
担任は工化の先生なので、父は金や白金、銀を見せ、何を話したか知らないが、かなり感心して帰ったらしい。
当時銀のインゴット1Kと金と白金、家の金庫に入れてたからね。
多分見せて自慢してたと思う。
その効果は、次の日の授業に表れた。
授業中にその日の金相場を自分に質問するとゆう事を、その日相場の確認していなかったので焦りました。
クラスメイトは、何でわぎょうに聞くみたいな顔してるし、まいったね。
まあとにかく、父に振り回されっぱなしである。
高校受かって一番嬉しかったのは、母からの電話だった。
欲しい物はないかと聞いてくる母に、またしても他人行儀で答えてしまう。
本当に素直じゃない。
はっきりこうなりたいなって思い始めたのは、この頃位じゃないかと思う。
ヤマト、ガンダムと様々なアニメを見ていくうちに声優になりたいと考えてた。
だがそれには家を出なければならないし、それ相応な学校にも行かなければならないと、しかし父が許すわけはない事は当然だった。
専門学校のパンフレット見ては溜息ついていた、声優・アナウンサー憧れていた。
特に、古館伊知郎氏のプロレス実況は凄いと思っていたし面白いと思っていた。
声優は山田康夫氏、ルパンでクリントイーストウッドだ。
コミカルもシリアスもいける凄い方が憧れだった。
色々と夢見るようになって、高3の時家を出る事を考えたが、学校行くにはお金がないし、親を説得なんか、父が怖くて言い出せなかった。
担任から将来どうする?と聞かれても返事に困っていた。
だが意を決して担任に話した。
道外で就職したいと、とりあえず父から離れる事に考え方を変えたのだ。
そうすれば、後はお金を貯めて学校へとか簡単に考えていたのだ。
担任と父が面談した日、帰って来るなり弟に「こいつは家を出て他所に行くんだとよ」と言い放つ。
そして「これからは家の事全部やれ」と命令された。
1社だけ受ける事になったのだった。